昭和54年12月16日報徳祭前講若先生
広崎克一
真の道の心得
『神国の人に生まれて神と皇上との大恩を知らぬこと。天の恩を知りて地の恩を知らぬ事。幼少 の時を忘れて親に不幸のこと。真の道におりながら真の道をふまぬこと。口に真を語りつつ心
に真のなきこと。わが身の苦難を知りながら人の身の苦難を知らぬこと。腹立てば心の鏡のく
もること。わが心の角でわが身を打つこと。人の不行状を見てわが身の不行状になること。物
事に時節を待たず苦をすること。まめな時家業をおろそかにし物毎におごること。信心する人
の真の信心なきこと。』
皆様おめでとうございました、只今は親先生御祭主のもとに報徳の御祭り滞りなくおえさして頂きました。只今祭典終了後に祝電を披露されましたその中にもありましたように末永先生の方から祝電が参っておりました。
本当に考えてみますと日本が真冬のと時は地球の真裏にあたりますからブラジルでは真夏なんですね、合楽の神様という方は大変な事をなさるなあと思うんです。
いうならば日本が表とするならば裏のブラジル、ゆはゆる地球の裏表に布教なさったという事を始めて気付かせて頂いた訳ですが、それこそ末永先生が思いもかけず、ないような事で道が開けました。
私このブラジル行きに関しましてはいろいろな方とも面談しましたし、いろんな手続きも私がやらして頂いた訳です、ところがやればやるほど、もう絶対行けないという状態 しかも私が携われば携わるほどし、とてもブラジルは行けない、とうとう最後に末永先生がご存知のように骨折をいたしまして入院して2・3日だったと思いますが、福岡にあります農業とかいろんな事業団体をブラジルに送り込む事業団体がございますが、そこの処から電話が入りまして「私共がいろいろ世話さして頂いておりますけど、末永氏はどうもブラックリストに載っているらしいと言うんです。
これはブラックリストというのは、もう一つの、例えば池田創価学会、元会長の池田さんなんかがそうだったらしいんですが、どんなに手を尽くしても入れられないんですね、一つのブラックリストに載ってしまったら、どうも末永氏がそれになってるらしい、だから私共は変に末永さんを向こうに渡したら私共の方が迷惑いたしますので、この際手を切らして頂きますからという事で、「こりゃ末永先生いよいよダメばいということで、私は暗に、これはブラジルは、暫くはダメだからハワイかアメリカの方にどうか活路をひらかなければ仕方なかろうというふうに思っておりました。
ところが親先生はその最中に「末永先生が今度ブラジルに行く最後の修行になっとるよ」という事を仰ってる、何となく白々しいですね、よくあるんですよ親先生がそういう事が、例えば昔椛目時代に、その頃は修行生といえば久保山先生と久富先生ぐらいだったですが「50人の修行生が出来るよ」ということを仰ってた、とても50人なんて先生出きる訳がない」と心の中では思っておりました、どうですか今日出来ております。
そしてふたを開けてみれば、まさに愛でありました、もうそれこそ思いもよらない三男坊の満君があちらで生まれました、これなんかもブラジルに渡る時に1才と2才しかも腹の中には6か月という重みでブラジルに渡るんですね、どうして神様という方はこんな事をなさるんだろうかと思っておりましたね。
ところがあちらで生まれなければ、満君と言いますが満君がうまれなければ今度のこのブラジル行きという事は道が開けてないんです。
思ってみればあれを思いこれを思いしてみると神様の実に手の込んだご演出、しかも2年間末永先生がこちらに居ったということはそれまでは合楽でも和道十全ということは仰ってなかった、いうならば和道五全ぐらいだった、ところがこの2年間にはっきり和道十全の教えをもって再度向こうに渡られたという事なんかを思うてみて神様の一分1厘間違いのない、しかも手の込んだご演出を思う時に、私達の目の前にあるこの難儀がどうしてこう言う難儀をしなければいけないだろうかというその向こうを見てみる時に正しく神様の素晴らしい演出であり神様の愛であるというが分かるわけであります。
今日ご祭典中に親先生が神様に向かって拍手をなさるあの音を聞いた時に僕は神様を見たような実感がさして頂いたんですが、私どもと神様の間というのは、親先生がよく仰る「鐘がなるのか撞木が鳴るか、鐘と撞木の間がなる」という教えがありますけれども「私共と神様との間と云うものは拍手をするようなもの」だなと思うんです。
神様と私共が叩き合うて交流をし合うて音がでる、さあ音の正体を見せろ神様の正体を見せろと云ったって見えないんだけれども実際音が聞こえるでしょう、これが神様だなと思わして頂いたわけです。
ですから末永先生が南米に渡りますのにいよいよ、末永先生、私共が実感した事はもう神様に頼るしか手がないという事だったんです最終的には、そしてあれもダメこれもダメということになった時にはじめて末永先生が決心されたのは、こちらに行かれなくなって帰って来た時に、今度は正々堂々と宗教家として渡りなさい」と云う事だった、とても宗教家として渡れる処ではないんです。
いまは国政上農業移民もブラジルではいらんと云いよるんですね、いろんな技術を持った人もいらん、しかも宗教家など絶対入れられる状態ではない、そういう私共は観念常識を持っていましたから、とても親先生はああ仰るけれども宗教家としては渡れないからという事でいろんな手練手管を使ったところが、あれもダメこれもダメということになって、いよいよ親先生に頼るしかない、神様に頼るしかないという事になりまして、末永先生がハッと気付かせて頂いたのは「末永さん今度渡る時には宗教家として正々堂々と渡りなさい」ということでありその事に気付かせて頂いて末永先生翻然とそこからその姿勢で向いました時に始めて思いもかけない道が開けたという事になってまいりました。
今度の末永先生のあちらに渡る事を思いました時にいよいよこれは神様が私共人間に掛けられるものは、わたくしという者が空しくなっていくこと、私の力ではどうしようもないという処を分からせようという働きがある。
ところが神様は不思議な方で「否そうじゃない、お前の努力がその信心が精進がおかげになったのぞ」と云わんばっかりに云うて下さる、んなら神様一人ではどうしようもないんです、人間がそこに寄り添わなければ神の働きが生まれないというものがあるんです。 末永先生がこちらに居られる時にそれこそ根限り心の限りの精進をなさいました、それは皆さんもご存知の通りなんです、そして結果的に末永先生が云うておるのは「いよいよ私には力がない」という事なんです。
そこにそれこそえも云われないこの音が出てくる、神様と氏子の間が鳴る働きになってきたのでありますが、私はこの報徳祭を境にいよいよ「我無力」というか神様にお縋りしなければ立ち行かない我というものを見出していきたいというふうに感じさせて頂きました。 ただいまから親先生の御教話をいただきます。どうぞ今日の最高のお土産にして頂きたいと思います。